俺もう、人間休むから。

ほわほわ踏まれて、頭に花が咲いた男

ああ、抜けてゆく。ほわほわ、夢うつつ。足圧技のイメージ

足圧宗家・カオスミサキ譚

踏まれて、頭に花が咲いた男

足圧技・ほわほわ夢うつつ譚

男は、畳の上でうつ伏せになっていた。

死んではいない。

だが、毎日すこしずつ死んでいた。

朝は通知に削られ、
昼は数字に責められ、
夜はおすすめ動画に魂を万引きされる。

現代とは、便利な顔をした追い剥ぎである。
しかも妙に清潔で、妙に親切で、妙にポイント還元までしてくるから始末が悪い。

男の仕事はAIに舐められていた。

文章も、絵も、相談も、反省文も、未来予測も、
AIがすました顔で吐き出す。

しかも最後に、

「あなたらしさを大切に」

などと言う。

黙れ、金属の坊主。

男は心の中で叫んだ。
けれど口には出さなかった。
口に出す元気まで、サブスクに吸われていた。

家に帰れば、犬がいた。

犬は偉かった。
働かない。
悩まない。
税金も払わない。
それなのに、家で一番堂々としていた。

犬は男を見た。
その目はこう言っていた。

「おまえ、また人間に失敗したのか」

男は負けた。

AIに負け、数字に負け、通知に負け、犬にまで負けた。

笑うしかない。
だが、笑う筋肉も凝っていた。

背中は板。
腰は鉛。
首の奥には、使い古しの蛍光灯みたいな疲れが、じりじり鳴っている。

身体の中には、いろいろなものが詰まっていた。

言い返せなかった言葉。
飲み込んだ怒り。
どうでもいい愛想笑い。
どうでもよくない寂しさ。
「大丈夫です」と言ってしまった日の、大丈夫ではない残骸。

それらが背中の奥で、湿った古新聞のように重なっていた。

もう、捨て方が分からない。

そのとき、足圧の者が立った。

手には竹。
足には重力。
目には、やさしさと、少しだけ地獄の入口みたいな静けさがあった。

よい目である。

本当にこちらを救うものは、たいてい少し怖い。
甘いだけのものは、だいたい虫歯にする。
やさしいだけなら、コンビニの照明でもできる。

足が、男の背中に乗った。

むに。

男の口から、最初の音が出た。

「あ」

人間は、産まれるときも「あ」に近い声を出す。
踏まれるときも、だいたい「あ」である。

ぐぐぐ。

「……ああ」

来た。

それは、よくある癒やしではなかった。
白いタオルと、薄い音楽と、やさしい笑顔でごまかすようなものではなかった。

もっと深い。
もっと変。
もっと逃げ場がない。

背中の奥の、誰にも見つからないように隠していた場所へ、足裏の重みがすうっと入ってくる。

そこは、湿布では届かなかった場所。
ストレッチ動画を三日でやめた場所。
「まあ、そのうち何とかなる」と言って、何ともならなかった場所。

むにむに。
ぐぐぐ。

男の中で、何かが剥がれた。

肩甲骨の裏に貼りついていた見栄。
腰の奥に沈んでいた疲労のヘドロ。
首筋に巣を作っていた、薄笑いの亡霊。

それらが、踏まれるたびに、名を失っていく。

怒りではなくなる。
不安ではなくなる。
虚しさでもなくなる。

ただの、もやになる。

もやなら抜ける。
抜けるなら、もう勝ち負けではない。

「効く……」

男は畳に頬をつけたまま言った。

「効く効く効くぅ……」

ひどい声だった。
情けなく、間抜けで、もう二度と録音されたくない声だった。

だが、その声は本物だった。

人間は本当にほどけるとき、あまり格好よくない。
格好いいまま救われようとするから、ますます疲れるのだ。

足圧の者は、黙って踏んだ。

励まさない。
慰めない。
正論を言わない。
「頑張りましたね」などと、安い飴玉みたいな言葉も投げない。

ただ、踏む。

それがよかった。

この世は、言葉が多すぎる。
意味が多すぎる。

目的。
成果。
効率。
改善。
発信。
成長。

うるさい。
全部うるさい。

こちらは今日、ただ踏まれに来たのだ。

むにむに。
ぐぐぐ。
ゆらゆら。
ほわほわ。

そのとき、男の頭に花が咲いた。

ハイビスカスであった。

なぜハイビスカスなのか。
知らない。
脳に聞け。
たぶん脳も知らない。

目黒の畳の上で、南国の花。

場違いである。
だが、救いというものは、いつも少し場違いな顔でやって来る。

桜のように美しくなくていい。
蓮のようにありがたくなくていい。

もっと馬鹿でいい。
もっと赤くていい。
もっと意味が分からなくていい。

バカみたいな希望でなければ、現代の疲れには勝てない。

男の背中から、煙が出た。

いや、出てはいない。
しかし、出ていた。

薄桃色の煙。
金色の煙。
犬に見下ろされた朝の煙。
AIにそれっぽく励まされて、逆に虚しくなった夜の煙。
誰にも言えなかった、くだらなくて切実な疲れの煙。

それが、ゆらゆらと上がっていく。

男は追わなかった。
追えば、またアルゴリズムが広告にして返してくる。

「ああ……」

男は言った。

「ああ、抜けてゆく」

足圧の重みが、さらに深く入る。

熱い。
少し痛い。
だが、嫌ではない。

痛みの底に、変なやさしさがある。
逃げ場のない圧の中に、なぜか安心がある。

それは罰ではなかった。
命令でもなかった。
説教でも、慰めでもなかった。

散らばった自分を、もう一度からだの中へ戻してくれる重みだった。

「なにも考えなくてもいい……」

男は、半分眠りながら言った。

「楽だよ。今だけは、無になれる……」

その声は、ひどく間抜けで、ひどく本当だった。

畳は黙っていた。
竹も黙っていた。
犬も、AIも、通知も、数字も、今だけは入ってこなかった。

この世の外側に、ほんの少しだけ出たような気がした。

男はそこで、人間を休んだ。

今日できなかったこと。
言い返せなかったこと。
笑ってごまかしたこと。
誰にも見せず、身体の奥へ押し込めたこと。

それらが、背中から少しずつ抜けてゆく。

大したことではない、と言い聞かせてきた。
みんな同じだ、と飲み込んできた。
疲れているだけだ、と片づけてきた。

けれど身体は、知っていた。

平気なふりをした日ほど、背中は硬くなる。
笑って済ませた言葉ほど、首の奥に残る。
大丈夫です、と言った声ほど、あとから胸の内側で小さく湿る。

足圧の重みは、そこへ届いていた。

責めるのでもなく、慰めるのでもなく、
ただ、ここに溜めていたのだな、と静かに見つけてくる。

男は、少しだけ泣きそうになった。

悲しいからではない。
誰かに分かってもらえたような気がしたからでもない。

ただ、身体のほうが先に、
もうよい、
と言った気がした。

もう、立派でなくてよかった。
勝たなくてもよかった。
ちゃんとした人間のふりを、今だけはやめてよかった。

むにむに。
ぐぐぐ。
ほわほわ。
ゆらゆら。

心身の重苦は、踏まれるほどに熱を持ち、

熱を持つほどに形を失い、

形を失えば煙となる。

煙となれば、抜けてゆく。

抜けてゆく。
抜けてゆく。
ああ、抜けてゆく。

頭のハイビスカスは、まだ咲いていた。

馬鹿みたいに赤かった。
場違いなくらい、明るかった。

それなのに男は、その赤さを見て、少し救われた。

この世には、理由のない花が必要なのだ。
ちゃんと咲く花ばかりでは、人間はもたない。

畳の上で、男は目を閉じた。

明日になれば、また通知は来る。
数字も来る。
AIも、犬も、知らない誰かの成功も、たぶんまた来る。

けれど今だけは、何も来なかった。

ただ、足裏の重みがあった。
静かな熱があった。
抜けてゆく身体があった。

頭のハイビスカスは、まだ咲いていた。

その赤さだけが、妙に生きていた。

足圧宗家より

考えすぎた頭。
固まりきった背中。
力の抜き方を忘れた心身。

人は、平気な顔で暮らしていても、
身体の奥には、言葉にならない重さを溜めているものです。

足圧宗家の足圧技は、ただ力まかせに踏むものではありません。

足裏から重力を静かに通し、
こわばりの奥へ入り、
心身に溜まった重苦を、深く、静かにほどいてゆく技です。

少し痛い。
けれど、抜けてゆく。

からだはぽかぽか。
頭には、なぜかハイビスカス。

ああ、抜けてゆく。
ほわほわ、夢うつつ。

これが、足圧技の真髄。

足圧宗家。
深く踏み、静かにほどく。

この足圧を、体で確かめたい方へ。

重くなった心身を、布団の上で一度、抜いてみてください。

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足圧宗家 良知善治朗

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